相撲の歴史
縄文晩期~弥生時代
相撲の原型
この時代に農耕がはじまると、農民の間で相撲が行われるようになった。この頃の相撲はスポーツとしてではなく、農作物の収穫を祈り、占い、神明の加護に感謝する祭り事の農耕儀礼という神事として行われていた。
712年
神事としての相撲
「古事記」に国譲りに神話における建御雷神(たけみかずちのかみ)と建御名方神(たけみなかたのかみ)の稲佐浜(現在の島根県出雲市)での力比べが描かれ、相撲と神事の深い関わりを読み取ることができる。
720年
神事としての相撲
「日本書紀」に垂仁天皇7年7月7日に野見宿禰 (のみのすくね)と當麻蹶速(たいまのけはや)の天覧勝負の伝説が描かれ、相撲と神事の深い関わりを読み取ることができる。
734年
天覧相撲
聖武天皇が勅命を出して全国から相撲人を集め、宿禰・蹶速の故事にちなんで7月7日の七夕祭りの余興として観覧する天覧相撲がはじめて行われる。
1174年
相撲節会
奈良時代から行われた天皇が宮中で相撲を観覧する朝廷の年中行事であった相撲節会(すまいのせちえ)が、源氏や平氏の台頭によって政権が武士に渡ったことから断絶する。
相撲節会は現在の相撲とは違い、土俵も行司もなかった。勝敗は相撲場の地面に相手を投げ倒すか、手やひざをつかせることによって決まり現在の大相撲の原型となっている。
鎌倉時代
武士の間での相撲
相撲は武士の間で、心身の鍛錬や戦いに役立つものとして行われるようになる。
源頼朝など名の知れている武士はみんな相撲を好んでいた。
1570~1581年
織田信長はたびたび大規模な上覧相撲を開催した。戦国武将たちは各地から力士を集めて、勝ち抜いた者を家臣とすることもあった。
江戸時代
戦乱がなくなった江戸時代には、相撲は、武士が楽しむものから庶民が娯楽として見物するものに変わっていった。
この時代の相撲は、相撲を職業とする力士たちの取り組みによって発展し、幕府の許可のもと行われた勧進相撲(寺社などの建立資金や修築資金を集めるために催す相撲興行)が行われた。
1789~1801年
相撲の広まり
谷風や小野川、雷電などの人気力士の登場や、相撲や力士を題材にした錦絵の流行、将軍の上覧相撲などにより相撲は黄金時代を迎え、人々の娯楽へと確立されていった。
現在のようにプロの力士によって行われ、それにお金を払って観覧するという人々の娯楽として興行が成り立つようになったのはこの頃からであった。
1909年6月
国技館誕生!
両国回向院境内の一角に相撲常設館が完成し「国技館」と名付けられた。本場所の最優秀成績者に新聞社から写真額が贈られ、館内に展示して、個人優勝を表彰するようになった。
2014年1月30日
日本相撲協会
財団法人日本相撲協会から公益財団法人日本相撲協会に改称される。